(8)
 猛爾元の処刑は曄北のフフ草原で行われる。
 鎧を剥がれ、庶民のまとう薄く短い褶に袴という出で立ちで鉄製の手枷をはめられた猛爾元は、反乱軍の兵が綱を引く馬に乗せられ、処刑場までの道を引き回された。
 その光景は曄の民衆の目には不可思議に映った。
 異民族が異民族出身の将を罪人として引き回している。褐色の肌に銀の髪は曄人とは歴然の違いがある。引っ立てた異民族とは同類のように見えるが、しかれども、猛爾元は曄の大将軍だ。
 凰都では多くの民が沈痛な面持ちだった。ようやく戦は終わったが、異民族が王都を占拠し、祐王を擁立。政と軍事を掌握してしまった。明日からの生活に不安が重くのしかかった。
 民の多くは異民族ながら立身出世した猛爾元にあこがれを抱き、城下で触れ合い、何度も城門をくぐって曄に勝利を持ち帰った往年の姿が消えゆくさまを哀愁の眼差しで見送った。
 が、郊外ともなれば違った。反乱軍に占領された町の者も、そこを占拠する遊牧民の兵たちも、皆冷え冷えとした眼差しだった。
 曄人の男が石を投げた。
「前から曄人ではない裏切り者のビュレ族が将になるなんて怪しいと思っていたんだ!」
 また、若い遊牧民の男も習って足元の石を投げる。
「曄の狗め! 一族再興も願わぬ不孝者が!」
 褐色の頬に赤い打撲痕が浮く。打撲痕を見て、男たちは一瞬怯んだ。しかし、一片の苦悶さえ表情に出さぬ猛爾元に、民たちは胸の内に燻っていた当てどころのない憎悪の“恰好の的”を発見した。
 民たちは止まらなかった。最初の一石がきっかけとなり、多くの石が投げられた。
 猛爾元は瞑目することなく、甘んじて投石を受けた。
 やがて綱を引く兵や他の護衛たちが投石をやめるよう民衆を制止した。
「腹を立てないのですか」
 綱を引く男が口を開いた。褐色肌に黒髪――ヨルワスの男だろう。
「石を当てる相手がほしかったのだろう。曄にそういう不満がはびこっているのは以前から分かっていた」
 捕縛されてから物静かなようすの猛爾元にはくつわははめられていなかった。声を荒立てる素振りも見せず落ち着いた彼に、男は少し不満気な顔をした。
「そういうことではない。あなたはふたつの民から曄人でもなく、遊牧民としての誇りもないと言われたのでしょう」
「そうでないことは私が一番知っている。だから良いのだ」
 微かに口角が上がる。
 確かに、猛爾元はもう純粋なビュレ族ではないだろう。
 大将軍の職を傑王から拝命した時、否、もっと以前、傑の傍で彼の死を見届けると心に決めた時、もはやビュレのナツァグドルジではなくなったのかもしれない。祐の命を救うため王の間から逃がしたことは、ビュレのドルジではできなかったことだ。過去の憧憬こそ曄北の草原に求めても、今を生きる心はもう曄国に根を下ろして長い。それでも、銀の髪が、青の瞳が、褐色の肌が、生まれ故郷の風景が決定的に曄人とは異なり、ビュレの民である。
(私はビュレ人であり、曄人でもある。今となってはそれは変えがたい事実だ。例え悲しみや恨みが氷解せずとも、ビュレと曄、どちらかが欠けたなら今の私は存在しないだろう)
 己の起源がひとつの柱である人間が羨ましかった。二つもあるからこそ、吊り橋のように不安定に揺らぐのだ。それでも、どちらでもあることこそが猛爾元の人生の足跡であり、誇りだった。


 フフ草原の空は凰都の猥雑で狭苦しいそれと違って広々としていた。
 秋の高い空に馬の尾のような筋雲が広がり、陽の光が緑色と金色のまだらな草むらを照らす。
 ここは猛爾元が幼い頃、ビュレの領地でもあった。ついぞ傑王とは来られなかった場所である。
 数十年前に競い馬をする約束を交わした時、猛爾元は馬を競うのであればこのフフ草原だと胸の内で決めていたのだ。その約束の地で、己は刑に処される。旧ビュレ領での処刑はアルトゥンが意趣返しの一環として選定したのだろう。
 猛爾元を繋いだ簡素な天幕の隣では、アルトゥンや戦の指導者たちが彼の処刑について議論していた。
「恐れながら逆賊猛爾元は皮を剥ぎ、肉を削ぐ凌遅刑に処するが良いと考えます」
「ええ、首領、あの者は我々遊牧民にとっては裏切り者! 骨の髄まで曄の民だ!」
「ええい、おとなしく縄について気味が悪い! 裏切り者はさっさと斬首いたしましょう」
 さまざまな意見が飛び交う中、アルトゥンはいかなる刑を執行するか、ずっと前に決めていたようだった。
「そうだ。あれは曄に与する裏切り者だ。我々の偉大なる族霊たちをないがしろにし、曄が土足で神聖なる地を踏む手引きをした」
 アルトゥンは仲間の言葉に首肯する。皆の意見がほとんど出揃ったところで、彼は徐に口を開いた。
「なれば。なればこそ、曄の矜持とビュレの矜持、その両方を挫くためにも車裂きの刑に処するはいかがか、兄弟たちよ」
 仲間たちは首魁の瞳の奥にぎらぎらと輝く黒い炎を見た。誰もが言葉を詰まらせた。
「曄最後の矜持ともいうべき大将軍の四肢を分け、永遠に曄武帝のもとに馳せ参じられぬよう結界をはり、武帝の陵墓よりはるか彼方に埋めよ」
 誰もが声を発しなかった。
 車裂きの刑に処されることはその日の晩に猛爾元に伝えられた。
 叛逆者は王城前の広場で凌遅刑に処されるのが武王以前からの慣習である。ために、猛爾元も自身は凌遅に処されると考えていた。だが、考えてみれば凌遅刑ならば草原に来る必要はない。それに異民族の反乱軍が曄の将軍を凌遅に処したと民衆に公開することは、後々彼の評判に大きな影を落とすことになろう。
 猛爾元はアルトゥンの意図にを聞くと鼻で笑った。
「最期の望みを申してみよ。この地で可能なことであれば、飯でも女でも用意しよう」
 四肢に縄をかけられた猛爾元は首を左右に振った。
「なれば、張祐様の身の安全を約束されよ。彼は私が利用しただけの哀れな子供。どんな身分に落ちぶれてもどうか命だけは取らぬよう、あなた方の子供として扱っていただきたい」
 「そのように心得た」という執行人の声を遮って、アルトゥンは唸った。
「貴様が簒奪しておきながら身の安全を保障せよとは笑止! 貴様の身勝手と偽善を俺は絶対に許さない」
 猛爾元は末期の飯を望まなかった。死出の旅路に最期の飯は必要ない、その米を曄のため戦で疲弊させた民にあげよと言った。
 刑執行の合図が鳴った時、猛爾元は朝焼けの朱い空を仰いで微笑を浮かべた。刑の執行人をはじめ、その場の者たちは皆、首だけになっても微かに笑みをたたえる大将軍に恐れをなしたという。ただ一人を除いて。
 


 アルトゥンの軍は凰都を占拠。逆臣猛爾元の死後、アルトゥンは名を阿尓頓に改め、曄平帝の後見となり政治と軍事に介入する。アルトゥンにとっては憎むべき曄国であったが、猛爾元の生前の願いを聞き入れ、平帝丁重に扱ったという。その後、平帝は病を得て薨去。皇位は幼子の哀帝にうつる。
 哀帝の時代になると政治と軍事は完全にアルトゥンの傀儡となり、わずか二歳で即位した哀帝はたった一年ではやり病を得て薨去する。
 跡継ぎのいない曄国は、平帝の遺したアルトゥンへの譲位の筆をもって完全に滅びる。遺筆の真偽は定かでなく、巷では王位簒奪が囁かれた。だが、曄国の伝統自体は猛爾元捕獲の際に既に滅びたといって過言ではなかった。アルトゥンの介入後、曄には遊牧民たちの風習が目に見えて広がっていったのだ。
 猛爾元の遺骸は阿尓頓帝――のちに諡され瑛太帝――の命令により、四肢のちぎれたまま郊外の八箇所に埋葬された。上には封印するかのように石碑が立てられている。
 猛爾元の遺骸は、阿尓頓ののち八代を経て、時の皇帝により曄武帝陵の倍塚に改葬される。
 曄が滅亡した後、瑛に従った程一族の追善供養の際に、程駿の日記が木簡で発見されたのがひとつのきっかけである。真筆と判断されたその木簡には平帝を救いたいがための猛爾元の苦肉の策が記されていた。内容の真偽は討論の余地があるとされているが、時の皇帝は、曄の歴史を鳥瞰すると瑛国にとっては憎き敵ではあったが、曄国にとっては確かに義の忠臣であったのであろうとした。
 その評にもかかわらず、『瑛書』では猛爾元は凶悪な二重の逆賊とされた。歴史上の彼の役割が見直されるのは更にずっとあとの世になる。


 宝鈷杜。曄朝末期の武将。北狼部族の人。渾名は猛爾元。妻は文玲公主。子は宝剛。色黒く青眼。東方三部族の乱に敗れた後、容貌を利用し曄武皇帝に命乞いす。後、曄武皇帝の男娼となる。名実得るため北方の領土拡大政策に従軍。多くの同胞を殺害する。曄武皇帝常に同衾し、国政堕落の道を得る。妻子離縁し、西駱部族に追放される。曄武帝の死後、曄平皇帝の玉璽を盗み、自らを猛璽元と名乗る。邸宅より書が見つかる。孝太皇帝により捕えられ、五馬分屍に処される。
――『瑛書』佞幸列伝



   
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